今回は少し個人的な話ですが、よかったら読んでください。
himawariの父親の話です。
世界で一番気を遣うのが父親
昭和一桁生まれの父。頑固。自分が一番正しいと思い込んでいる。気性が激しい。働くのが美徳、娯楽などもってのほか。もちろん口では愛情表現は一切しない。
父親は仕事一筋の人だったので、子供の事は母親任せでした。なので、子供の事で気にいらない事があるとすべて母親のせいにします。それが昔から一番嫌な事でした。暴力は無かったけれど、暴言がひどかったのです。
普段から父親とはほとんど会話がありません。
父親と会話すると、気分を害されるので極力話したくないのです。
父親との確執
三人兄弟の末っ子のhimawari。周りからはすごく可愛がられていると言われますが、愛情をかけるということと所有物にすることは別物だと思ってきました。自分の気に入らない事や興味がない事には聞く耳を一切もたない父親とは長い間確執があります。
一番の確執は留学問題でした。10代の頃から英語やアメリカ留学に興味があったhimawariでしたが父親は頭から大反対でした。
『お金と時間を無駄にするだけや。お父さんはなんでもわかっているんや。そんな甘い事でどうする』
この言葉の繰り返しで、こっちの言い分は一切聞いてくれませんでした。
短大卒業して商社に勤めて留学費用を貯めて、留学に行こうと思って会社も辞めたのですが、それでまた大喧嘩。
反対されても行けばいいんじゃないかと思われるかもしれませんが、私の怒りの矛先がすべて母親に向けられ、母親は心労で倒れてしまったのです。縁をきるんやったら好きにしろと言われましたが、自分のせいで倒れた母親をおいてはやはり家を出ることはできませんでした。
父親への感謝と自分自身の人生の幸せを考える
父親は苦労して育ちました。早くに父親を亡くしたこともあり、中学を卒業してから働始め彼の弟妹の面倒をすべてしてきました。すごい事です。
父親一代でそれなりの財を築き、十分なくらい子供たちに色々な事をしてくれました。三人の兄弟の家を建てる、個人年金をかけるなど感謝しきれないことが沢山あります。
父親が経験したみじめな思いを子供にかけさせたくなかったようです。
しかし・・・・
心から喜べない自分がずっといます。
感謝とこの父親の愛情の表現を素直に喜べないことは違うような気がするのです。
himawariには子供がいないので、本当に親としての気持ちがわからないかもしれません。でも、子供にこういう思いをさせているということ自体問題ではないかと感じてしまうのです。
サンフランシスコ移住問題
アメリカ人の彼とサンフランシスコ移住の件、もちろん大喧嘩。というか父親から一方的に言いたいことをまくし立てられましたが・・。
何かあった時にすぐに誰もかけつけられない、若くないのに病気になったらどうするのか、生活はちゃんとできるのか、老後はどうするのか等。
最後にはこんな風に言われました。
ここに住んでいたら何も困ることはないのに、何故わざわざ苦労するのに外国にいくのか、お父さんは心配で心配で仕方がない。
そんなこと言われても・・・と結構冷めている自分がいます。
兄と姉はそれぞれ家庭を持っていますし、父親が納得できる範囲の人生を送ってきているので衝突とかを見たことはありません。私himawariだけが、父親と衝突することが昔から多く、親不孝しているようで引け目を感じます。
その反面、毎日、父親の顔色をうかがいながら生活していくことが一番の苦痛。自分の事で母親が父親から文句を言われているのを聞くのも堪えられないものがあります。
サンフランシスコ移住は、無理やり彼に合わせたこともありもう諦めたようです。
50歳を前にして、父親との大衝突がわかっていましたが、自分の人生の中で、何が幸せを感じるのだろうとずっと考え続けてきての決断でした。
自分の人生だからしたいことをすればいいと思う人も多いでしょう。それがなかなかできない環境にいる人達も沢山いるんですよね。
とてもデリケートな親子関係
親子関係含む家庭環境は、本当に恐ろしく子供の思考を左右するものだと思います。親子って一番近いものだけにその距離感が難しいのかもしれません。何が正しいとか間違えっているとかマニュアルなどないですからね。
この2年ほどずっとモヤモヤしてきた事を吐き出してしまいました。
父と娘の距離はいつかは少しは縮まるものでしょうか。
せめて、サンフランシスコに移住するまでは衝突がないようしていきたいです。