こんにちは。喉が痛みがなかなかひかないアラフィフ独身女子のhimawariです。
素敵な夫婦の歌を、その歌の誕生秘話と一緒にご紹介します。
愛のカタチ/中村つよし
この歌は、とても深い愛の物語の歌です。
アルツハイマー型認知症を発症してからも、65年間連れ添った夫の名前を生涯忘れなかった祖母に、 孫の歌手・中村つよしさんが捧げた歌です。
1939年、横出義光と八千子は出会ってすぐ、恋に落ちた。
当時、義光には許婚がいて周囲は反対したが、二人は愛を実らせて結婚。 やがて一人娘の一見も授かり、夫婦は寄り添いながら長い年月を共に過ごした。
しかし夫・義光は80歳を超えると入院生活に。
この頃、八千子は『1日でも1時間でも義光さんより長生きしなくちゃあきまへん。ウチがいなくなったら、義光さんが困りまっしゃろ?』 と言うのが口癖だったという。
ずっと夫の側についてやりたい八千子だったが、病院では面会時間が決まっている。 病室に行けないとき、八千子は家の前にイスを出して座った。それは夫がいる病室の窓を見るためだった。
だが夫・義光は2004年2月に永眠。
その葬式の直後に八千子は突如、アルツハイマー型認知症を発症した。
病状は日に日に悪化し、彼女は一人娘のことも、やがて自分の名前すら忘れた。
そんな八千子が最後まで決して忘れなかったのは、愛する夫・義光の名前。
その姿に感動したのが、孫で歌手の中村つよしである。
中村『記憶を失う病に自分がかかった時、最後に一人だけ覚えておけるとしたら、誰のことを覚えておけるんだろう。
おばあちゃんのおじいちゃんに対する真実の愛、それを「カタチ」に残せないかなと思ったんです』 そういう想いから「愛のカタチ」は生まれた。
記憶を失っていく祖母のために、中村つよしはこの歌詞を刻んでいった。
『幾年老いて あたしの記憶を 病がいたずらに食らえども 愛子の名を忘れ わが名を忘れ それでもあなたを忘れません』
2004年8月。八千子は夫の死から半年後、後を追うように永眠した。
八千子が生前、イスに座っていた本当の理由をポツリともらしたことがある。 八千子『あれは、義光さんの病室を見ているんじゃなくて、義光さんに私の姿を見てほしかったのよ』
(「誰も知らない泣ける歌 」オフィシャル・コンピレーションアルバム 「愛のカタチ」のエピソードより)
涙が止まりませんでした。
悲しいのではなく、すごく心があったまって心が洗われた感じがして
涙が止まらなかったのです。
目の前の大事な人と、何気なく過ごしている毎日。
一緒に居れることの貴重な時間を大事にしたい☺